vlastos’s blog

女子バレー雑録

「コーチングバレーボール」基礎編について

前回2004以来13年振りの改訂です。
詳しい用語解説があるのは良いが、JVAで使うように統一している「アウトサイドヒッター」がなく、JVAでは使わないよう言ってる「ウイングスパイカー」で統一されてるのは時代錯誤で混乱させるだけです。(これは河合学氏)
 
 従来我が国ではレシーブという言葉でレセプションとディグを包含していたから、ディグが疎かにされていたという記述(これも河合学氏)は誤りというしかなく、ディグの練習が強調され過ぎて国際大会では明らかにレセプションの方が苦手です。

 前回版の編者の豊田さんに比べると、バレー学会前会長の遠藤俊郎さんが編集委員長になり、バレー学会主導で、前回あった「初心者導入法」や「基本技術の指導過程と系列」がなく、つまり初心者からの漸進的な指導の記述がなく、本書だけでは初心者向け指導は不可能です。

 遠藤さん執筆の「うまくなるための理論の理解」は殆どの部分が「引用・参考文献」に挙げられている、マクガウン(McGown)さんの「バレーボール コーチングの科学」(原著1994)第一章からの引き写しなのは教本ゆえ仕方ないが、重要な「漸進性」の記述が抜け落ちている。マクガウンさんは余りに段階の多過ぎる漸進性を否定しているが、当然ながら
「漸進性は明らかに運動技術を教えるために用いられなければならないものである。」
 としており、絶対必要なもの。
 恐らく遠藤さんの読み違えかネグレクト。
 また、マクガウンさんのは名著とは言え25年前の記述から一歩も出ていないのはいただけない。例えば「全習法と分習法」では「全習法の原則」とし、分習法はあくまでも補足という考えだが、松井さんのでは「分習法と全習法のスパイラル」とし、状況判断能力のため全習法の重要性を伝えつつ、ゲーム中心となるためプレイが荒くなってしまうので、分習法をやって細かい技術を身につけ、その後全習法に戻るというサイクルの必要性を指摘しており、一歩前進しています。

 
 本書は、バレーボールで一番の基本の「パス」の項目が無く、ディグやレセプションでも超重要なオーバーの説明もなく、アンダーの説明しかないのは欠陥。
 また、松井さんのでは第1章「身体の使い方」として「身体を起こす」「床から力をもらう(かかとから入って止まる)」「3つの軸を活用する」など、バレーボール全般の基本の説明がありますが、本書では「スパイク」「レシーブ」など個々の動作の説明しかありません。
 あと、
 セットの時
「柔らかいハンドリングが理想だからといって、ボールを「もつ」ことから教え、「もつ→投げる」を早くしていけば正しいパスになるというのは間違いである。」

前回版は「とんできたボールを押し出すようにすると、手とボールの衝撃が大きくなり突き指をしたり、ドリブルの反則となりやすい。したがって、ボールの勢いを殺すために顔の前に引きつけ(ボールがおでこに当たるくらいまで)、その反動を使って、肘、手首、指だけでなく身体全体、とくに膝の屈伸と腰を下から上に押し上げるようにボールを送り出す。」「パスに入る前にキャッチボールなどしてボールになれさせることが大切である」

伝統的な指導法の否定なんですが、初心者にはとても不適切と思われ、従来の「持つ→投げる」が必要と思われます。また、キャッチ(ホールディング)の反則になる、と書いていますが、近年は持ってるように見えても殆ど取らなくなっています。
 さらに、自分の指導者から聞いたからというだけで、「オーバーハンドパスはバレーボールの生命線」と絶対視していますが、エビデンスどころか理由すら示されていません。無理にオーバーより、アンダーで上げた方がいいケースもあるわけですし、ロンドンの竹下などは指の亀裂骨折のせいでアンダーが多かったですが結果が出てます。
 前回版では「従来、オーバーハンドパスを初めに教えろ、と言われているが、初心者には難しいため、先にアンダーハンドパスを教えるべき」としています。
 また、ボブ・ミラーさんの「バレーボール・ハンドブック」では、若く経験の少ないプレーヤーは腕の力に欠けるし、より良くボールを追い、ベストなポジションにより早く移動することを学ばせるために、若いプレーヤーはアンダーハンドパスに集中させる、とありますが、正否は兎も角、このような理由や根拠が一切抜け落ちています。
 
※河合学さんの執筆部分について
冒頭でも不審な点を指摘しましたが、「1-1 バレーボールの誕生と発展の歴史」の最初期の記述は、水谷豊さんの「バレーボール その起源と発展」(1995)に依拠していますが、バレーボールの前身になる「ミントン」(バドミントンのシャトルを羊毛球に変えたもの)について何故か「モーガンの師であったギューリックが考案したニュースポーツ」とありますが誤解です。YMCAからインドに派遣されていたマッコノーイがアメリカに持ち帰ったものです。(水谷1995)
この点本書と同じ月に発売された「バレーボールクロニクル」の河合氏執筆箇所では正しく記載されています。
 また、フィリピンから伝えられ、1920以降に導入された「3回以内で返球」ルール(6人制とは無関係)の導入を6人制の採用(1916)と同時であるかのように記載したり不正確な記述が目に余ります。
 そもそも6人制採用は本質的ではなく、返球回数制限こそが現代バレーボールを形成したことが理解されていません。
更に「草創期ではネットの高さが180cmしかなかったためジャンプする必要がなく、ただボールを打ち合うだけの競技だった」(17頁)とありますが、この本の別の箇所(247頁 水谷孝義執筆)ではオリジナル・ルールとしてネットの高さは6フィート6インチ(198cm)と明記されており、水谷(1995)が183cmとしている以外は河合氏自身執筆の「バレーボールクリニック」を含めた他の文献や英語サイトも全て6フィート6インチとしていることから、水谷(1995)の誤記を踏襲したようです。
 更にネット高は1900年のルール改正によりすでに229cmとなっており、ジャンプしてスパイクするようになったのはネット高のせいではなく、フィリピンで1912年に3回以内で返球するルールが導入され、バレーボールがレクリエーションから競技スポーツに変容したためと考えられます。実際、1913年のマニラで開催された東洋オリンピック(後の極東選手権)でバレーボールが公式競技として採用されています。(この当時の極東ルールは16人制でした)。
 また、アメリカで第一回YMCA全国選手権が開催されたのも3回以内返球ルールが適用後の1922年です。
 今日のようなセット→スパイクによるジャンピングアタックも1916年にフィリピンで誕生したと伝えられています。
 レクリエーションではなく、競技スポーツとしてのバレーボールは1912年、フィリピンが発祥地と言うべきでしょう。
つまりバレーボールの歴史で最も大きな変化は6人制でも、ローテーションでもネット高でもなく、「3回以内返球」ルールの導入であり、殆ど別のスポーツになったと言っても過言ではありませんし、1917年の極東選手権に参加している日本はアメリカより前に現代バレーボールを実践していたことになります。
河合氏は「3回返球ルール」がフィリピンで創設されたことの重要性(或いはその事実を?)を理解していないようです。これは「バレーボールクロニクル」でも同じです。
 恐らく本書の河合氏執筆部分は相当以前に執筆された未定稿、研究ノートが誰にもチェックされないまま掲載されてしまったものではないでしょうか。
 用語も英語圏で全く使われない「ウイングスパイカー」で統一するなども時代錯誤が甚だしく、バレー学会会長ということですが、ご本人の老化もあると思われます。
また、本書の水谷孝義氏執筆箇所ではフィリピンでの発展に言及していますが、248頁において、「1912年のルール改正で、6人制が採用され、これがF.ブラウンが日本に導入した時のルール」という致命的な誤りがあります。
当然、6人制の導入は1916であるが故に日本には人数制限なしで伝わったものです。
 また、1913年マニラ開催時から極東選手権でバレーボールが導入されたことが明記されておらず、1927年に日本が提案した9人制バレーが採用された(それ以前の選手権では16人→12人制であった)という記載のみであるため、あたかも日本主導でバレーボールが採用されたようしか読めず、フィリピンの功績が著しく過小評価されています。
 ただ、水谷さんは3回以内返球ルールの導入の意義は正しく捉えています。